「人生終わらせようとしたことあった」~クリスティーナ・キムが「うつ病」を告白

全英開幕な日ですが、これはアップしておきたかった。ビックリした。


LPGAの人気選手の一人でもあり、その感情豊かなプレーと公私共々物怖じしない性格でファンも多いクリスティーナ・キム。Twitterなどではマヌケな(時に奇抜な)発言をしてみたり、一見順風満帆なプロ生活を送っているかと思いきや、ここ2年間「うつ病」と闘っていることを自身のブログで公開。「うつ病について議論することはタブーではない」と前置きした上で、自身が鬱になったきっかけから自殺しかけたことなど赤裸々に語っています。ということで、いつもなら(手抜きの)抜粋翻訳家ですが、今日は全文頑張ってみた。


個人的な話ですが、高校の同級生で躁うつ病(双極性障害)に悩まされている子がいるからか、なんだかとっても身近な話に感じてしまった。無縁な人間にとってみれば「なぜ?」と思うことも、当の本人はもっと混乱していたりする。話を聞いてると、とっても切なくなる。


成人の10人に1人というから、満員電車なら同じ車両に10人くらいはいる確率か・・・。会社、学校、親戚の中にいても不思議ない確率です。


ゴルフは「個」のスポーツ。それゆえ他の団体競技と比べると、自分一人で悩み、苦しみ、背負い込んでしまうアスリートも多いのかもしれない。

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photo: zimbio.com


クリスティーナ・キムのブログ(英文)はこちら


タイトル:部屋に潜む魔物(=うつ病)のカミングアウト


注:このエントリーは私のうつ病との闘いに関するものであり、ここに記載する考えや見識は私、クリスティーナ・キム個人のものでありLPGAとは一切関係ない。


このエントリーは、数ヶ月前に思いついたものだ。不安、不幸な気分に再び襲われ、発散しなければいけないと思った。この過程がこれほどのセラピー効果があるものだとは思ってもいなかった。まず、これは私自身のために書く。過去2年間、自分が経験したことについて書くことは自分を助けてくれると思っていたけど、果たしてどれほどかは分からなかった。発散?私が発散なければいけない問題はまさか自分の身に降りかかるものだとは想像もしなかった。この時期にを支えてくれている素晴らしい人たちには言葉がありません。感謝するのみ。


誤解のないように言っておくが、これは誰のせいでもない。普通の家庭で育ち、これ以上ないほどの親、兄弟の愛情のもとで育った。人生の教訓を素晴らしい環境で学び、愛され、励まされ、私と兄弟を育て、努力と忍耐をすれば何でも実現できるということを身を持って証明してくれた親がいた。両親は私の模範であり、これまでも、これからも模範でいつづける。私が「大人」になろうとしているこの時期に、彼らの愛情と助言があることを幸せに思う。


大好きなことを職業としている人は少なく、幸運にも私はその一人だ。LPGAが与えてくれたチャンスは私が夢見ていた世界を遥かに越えるものだ。17歳でフューチャーズツアーのQスクールに出場する機会をいただき、プロとしても勝負できるということを証明するチャンスを貰った。家族もLPGAで出会った素晴らしい人々。泣きたい時には肩を貸してくれて、励ましてくれて、私の胸の内にあるものをいつも聞いてくれた。LPGAがなければ、今の私をサポートしてくれている友人もいなければ、世界で有数の医者にも出会えなかっただろう。もちろん、日々の苦労を乗り越えるために励ましてくれる多くのファンもいてくれる。


このエントリーはメディアのために書くものではないし、誰かに拾ってもらおうと思って書いているわけではない。私は彼ら(メディア)の標的であることは分かっているし、これによってあることないことを書く人はいるかもしれない。でも、それ以上に自分の経験を共有すること、自分の声、手で伝えることが大事だと感じた。


そして、もう一つ。うつ病は「タブー」な話題ではないということを皆に知ってほしかった。CDC(疾病対策予防センター)の統計によると、2011年3月時点で成人10人に1人はうつ病にかかっているとのこと。その病を聞いてもらえず、内に秘めてしまっている人が何人いるか想像してみてください。繊細な問題であり、オープンに議論されるべきだと思う。私が打ち明けることによって、一人でも多くの人が助言を求めるきっかけになってくれれば私の人生の目標は達成かな。他人のため、他人を助けない人生を過ごすなんて・・・それが本当に幸せな人生だろうか?


最後に、これを公にすることが本当に辛かったことをご理解ください。同情を求めているわけではないし、コメントも励ましの言葉を求めてるわけではない。私のことを大切に思ってくれている人が周りにいて、この病と一生付き合っていくことになるんだと思う。面白いコメントや批判をするのであれば、それをご理解いただいた上でしてほしい。


・・・


うつ病。自殺未遂。苛立ち。笑顔になれない精神状態...


別にプロザック(抗鬱剤)の宣伝文句ではない。ここ2年間の私の人生です。認めるのはとてつもなく怖い。うつ病。その言葉だけでも怖い。うつ病と聞けば、白人の精神的に不安定で目の周りを黒く化粧して真っ赤な口紅をつけていて、大人の世界が大嫌いな子...はたまた、病院に行ってはわめく子供を泣きっぱなしにさせ、残業しすぎている旦那を持つ白人女性が涙。こんなイメージではないかな。活発的で、いつも笑顔で、素晴らしいキャリア、熱狂的なファンを持ち、誰もが一度は夢見るようなレベルがゴルフがプレーできる女性...うつ病とは到底無縁に思える。でも、私は今自分のことを書いている。いつこの病にかかり、何が原因だったのかは分からない。でも過去2年間、私を離してくれない。思うままに書くので、時系列がずれてしまったらごめんなさい。


私が味わった倦怠感の原因の一つはやはり自分のゴルフだと思う。ただ、どちらが先だったか、またはどちらがより大きな影響力を持っていたかは分からない。鶏か卵か、の議論。酷いゴルフをすれば気分が落ちるし、最悪な気分の時は目も当てられないゴルフをしていた。この悪循環は止まらない。ずっと。ずっと。なんとく言ってる意味は分かってくれるかな...。2010年、サイム・ダービー LPGA マレーシアに出場するためにマレーシアに飛んだ。アジア圏に戻ってこれることが本当に嬉しかったし、今でも、その時もアジアで行われる試合での歓迎は年間のツアーを通しても一番だと思う。景色も食事も最高級のホテルに泊まった。最高のプレーをしたかった。スパにマッサージを受けに行った。1.5日の長い移動の疲れを癒し、筋肉をほぐして試合モードに切り替えるために。実はマッサージはこの病(うつ病)のリハビリに効くことは後から知ったんだけど、とにかくその時、マッサージを受けたんだけど、最後の方で脊椎が悲鳴をあげた。第5腰椎と第一仙椎の椎間(L5/S1)に違和感を感じた。その週、飛距離は1クラブ分落ち、そして3週間後にはもう1クラブ分の飛距離を失っていた。14歳の時が最後に、8番アイアンで145ヤードをキャリーで打てなかったことなんてなかった。頭に銃を向けられた状態でも今までは楽に140ヤードは打ててた。その時は130ヤードが限界だった。最高で130。マレーシアではトップ10入りはできたけど、自分のゴルフに対する疑心はそこから芽生え始めた。


多くの人にとってはこんな話はどうでもいいと思うかもしれない。でも想像してみてほしい。自分の仕事、キャリア、もっと言えば人生、生活のために良かろうと思っていたことが、裏目に出てしまう。自分が発揮できるマックスの力が15~20%減少してしまう。持っている力、能力、知性、単語の1/5を失う。相当な損失。今でも、まだその力を取り戻す努力をしている。当初は、もっとゆっくり、弧を長く描くようなスイングにすれば、飛距離は戻る-そう思っていた。20ヶ月後、ジョン・デイリーのスイングがアプローチショットに見えるほど私はオーバースイングをしていた。トップでの(コッキングの)角度を80°加えたことで(大げさに言ってない!)、ショットメイクの能力を失ってしまった。つまり、スピード、飛距離、さらに方向性を失った。では、何が残ったか??苦悩の日々、ヘッドを叩きつける日々(自分の頭も!)、そしてファーと叫び続ける日々。


でもショーン・フォーリーとケビン・スメルツのおかげで、今はそのスイングも少しずつ改善している。道のりは長いけど、ここは耐えながら時間をかけて頑張れば、これまでのスイングよりも良いものが身についていると思う。


自殺-「もう死んでもいい」なんて気軽に口にする人は多い。自分もこれまでに何回もそれに似たようなことを言ってきたと思う。口にしたことのない人なんていないんじゃないかな。男にふられた時、自分の存在は何だったのって考える。私がこの世からいなくなったら、別れた男は悲しむの?誰か気にかけてくれる人なんかいる?予選落ちすると、もうどうでもいい、もう終わりにしたい、もう友達、家族、メディア、さらには顔も名前も知らないTwitterの輩からの質問を受けたくない-そう思ってしまう。急にとてつもなく衰弱した気分に襲われる自分がいる。人ごみの中で、たった一人だけでいる。この喪失感。人ごみの中の人間は私のことなんてどうでもいいと思っている人だけで、中には私が不幸であることを喜ぶ人までいる。信頼できる人もいないから、体中、脳内、ハートはなんとも言えない喪失感で一杯になる。毒のように広がる。そして、それをどう治せばいいのかが分からない。この状態を初めて体験したのが2011年。くねくねした道を運転していると、対抗車両から来ている車目がけてハンドルを切ってやろう、という願望が突然湧いてくる。またはガードレールの向こう側にハンドルを切って、そのまま崖から転がって、転がって、この鉄の塊(恐らくレンタカー)と私の肉体が地面にたどり着いた時には跡形も残らない...という願望も。もう痛みからは解放される。「完璧」、「幸せ」を求める必要もなくなる。でも、何かがそうすることを止めてきた。


実は一回だけ「終わらせよう」としたことが2011年4月にあった。欧州女子ツアーのユーロネイションズカップにブリトニー・リンシコムと出場していて、彼氏のダンカンがバッグを担いでくれていた。リンクスで全く自分のプレーができず、ラウンド後に練習グリーンで2メートル弱のパットを繰り返し練習していた。試合でも同じ2メートル弱のパーパットを外し、悔しさのあまり練習グリーンでは涙が止まらなかった。目も当てられないほど泣きじゃくっていた。まるで生まれて初めて「ダメ」と叱られた子供のように。ダンカンは私を慰めようと必死だった。彼以外の人だったら絶対に諦めてただろう。泣きすぎて目がパンパンに腫れ、4歳児が風邪を引いた時のような鼻声だった。


突然、ひらめいた。そもそもパーパットが2メートル弱も残っていたのは、まともにパーオンできていなかったからだ、と。ほぼ全カテゴリーでスタッツは落ちていた。背中にはまだ痛みが走っていて、ショットは狙ったところに行くどころか四方八方散らかしていた。その午後、私はまた練習場で泣き崩れた。何かにキレてしまった。私のゴルフで唯一安心できていたショットの精度まで落ちるところまで落ちてしまった。時々、素晴らしいショットが出ることもあった。でもその頻度は日に日に落ちていった。トンネルの先に光があるのは分かっていたが、その光の先にあるものが何か全く見えなくなってしまっていた。


その晩、海を眺める美しい建物で選手のためのレセプションパーティが開催され、私は散歩に出た。音楽が鳴り響き、美味しい食事、ワイン、シャンパンが大量に振る舞われていた。そして、聞きたくなくても耳に入ってくる人々の笑い声。私はその賑やかさに全く魅かれなかった。ただただ、一人になりたかった。建物内を歩き回り、静かな場所を探した。すると建物の隅に海を見渡せるテラスを見付けた。人影もなく、パーティからは遠く離れた場所だった。私はそのテラスの最先端に立ち、地中海を見下ろし、手すりから身を乗り出した。静寂に耳を澄まし、平和だった。その静寂の一部になりたくなった。


そのテラスから飛び降りるのは簡単だった。手すりはウェストほどの高さで、海まではビル2階分くらいの高さ。私の体には「浮輪」があるように見えるだろうけど、実際は「岩」のようなもので泳ぎは決して得意分野とは言えない。地中海に飛び込めば、間違いなく溺れていた。飛び降りるすぐそこまで来ていた。私を飛ばせなかったのはダンカンからずっと掛かってききていた電話、そして車のカギを私が持っていたから。飛ばなかったのはトンネルの先の光が見えたからではない。その時、私は素晴らしい人生を送り、ゴルフで生計をたてることができていて、ありのままの私を受け入れてくれる男性がいた。どんなゴルフをしようが、外見がどうであろうが、私の名前にどれだけお金が付いてこようが、全く関係なく受け入れてくれる男性がいた。地球上で最も美しい場所を訪れることができる職業にも就けた。でも、その時、そのような自分の身の回りの環境は全く意味を持たなかった。どういうことか、そんなことは全て頭から排除していた。ひょっとしたら、「足りない」ものがあったのかも。全ての神経は私を引きずりおろしていたネガティブな力に注がれた。自分で肺に水を入れ始め、水面から遠く離れていく自分しかイメージできなかった。結局、携帯への電話、そして愚かにも車のカギを持っていたということで飛び降りることはなかった。


本当に死ぬ気があって自殺を試みたように聞こえないかもしれない。時代とともに人は様々な死に方を編み出してきた。安易に人は人生を終えることができる。これは私は知っている。でも、私は「注射」が嫌いなため、その選択肢はなくなった。手首?私のことだから多分間違った方向に切っちゃいそう。窒息?私の体を支えきれるほど頑丈なロープを見付けられないと思う。全て考えてみた。当時の私には「地中海」が正解だった。


数か月後、全米女子オープン開催中のブロードムーアホテルで、私は突然「悲しみ」よりもっと、もっと深い感情に襲われた。起きてきたこと全てに対する嘆き。スペインに戻ってきて、あの場所から今度はジャンプして真っ黒の海に吸い込まれ、水面が徐々に遠ざかっていく...そんな錯覚を起こした。この時、私は自分の命を自ら断つようなことは二度としないと誓っていた。厄介だからだ。平和な死に方が望ましいし、警察や清掃のおじさんを必要としない死に方が良かった。そう分かっていても、この一流ホテルで最高の眺めの部屋にいた私はいきなり泣き崩れた。よっぽど酷かったのだろう。泣きじゃくりながら、ダンカンが私にどこか悪いのか、どこが痛い、何をすればいい、と聞いてくれているのが分かった。泣きながらも、私はスペインでの出来事を必死に伝えていた。彼が私を救ってくれて、またお世話になるかもしれないことを。ようやく呼吸ができるようになり、私は自分が正常な精神状態ではないことを自覚した。やっと?そうだね、遅かったかな。医者に連絡し、私の気持ちを全て伝え、考えていること、スペインで起きたことも全て時間をかけて話した。全て話した後、私の体と脳に科学的な異変が起きている可能性について議論した。脳の機能について一通り話を受けた後、私は抗鬱剤を処方された。小さな緑のピル(真面目に、米粒サイズ。米粒ほど分厚くない)。こんなのが本当に体からセロトニンを生み出す効果があるのか!?全米女子で予選落ちした後からピルを摂り始め、数週間後にはネガティブな考えをすることが減少した。少し笑えるようになった。喜べるようになってきた。ぼんやりすることが少なくなったが、この頃から鮮明で不思議な夢を見るようになった。これは(写真は)夢に出てきたメインキャラの一つで、ダンカンに説明するために必死にiPhoneに書き残したもの。巨大で一風変わった歯をしたドデカい亀??人食いサイに見せかけて実は人間が二人入ったコスチューム?最初の方は私がダンカンを起こして、その晩に見た「不思議な夢の話」を興味深く聞いていたけど、1ヶ月もすれば睡眠が大事になってしまったみたい。


結局、私はこの緑のピルを6か月服用した。止める時、再び医者に相談した。人生もまた楽しむことができていた。子供みたいに薬に頼らなくても、私は世の中と向き合っていけるように思えた。徐々に薬から離れ、気付いたら服用しなくなっていた。セロトニンを抜いたがために不安定になる日も減っていった。私の脳は自力で稼働することを思い出し、おかげさまで、もう薬に頼らなくてもよい生活ができている。これからも二度と取ることはないだろう。


現在の話を少し。キャリアの中で今年が過去ワーストの成績になっているが(しかもまだ7月!)、私はある意味で楽観視している。ここ1年半を振り返るとハラハラするが、同時に今までにないほど心が洗われたような気がする。人生、思っているほど悪いものではない。いや、壮大だ。誰もが一生持っていられるものだ。私は周りのサポートに恵まれている。恵まれすぎているのかもしれない。彼らには感謝しきれない思いで一杯だ。そして、私の死を望んでいる人。あなたたちにも私は感謝している。陰がなければ、陽もない、でしょ?私は良い日もあれば、そうでない日もあることを受け入れようと頑張っている。それが人生。私がいつも口にしていたように、"Enjoy the Ride(=楽しめるうちに楽しめ)"私のキャリア、人生が続いていく中で、私はこの体験を多くの人に共有できたことを誇りに思い上を向いて歩いて行こうと思う。助けが必要としている人がいれば助けたい。誰か、何かのために生きたということを誇りに、これからも。


そして必ずこの闘いはやられっ放しでは終わらない。クマでも倒してみせる。それはそれで見応えのある闘いになるだろうね。


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要所でクリスティーナらしいヒューモアも交えた内容になっていますね。


いろいろ考えさせられます。


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