Best of 全米オープン~1位:1999年、ペイン・スチュアート最後の勇姿

いよいよ12日夜中から始まります、第108回全米オープン@トレーパインズ。今回特集したベスト・オブ・全米オープンで栄えある第1位は、「全米オープンといえば」このシーン、人物を思い出すゴルフファンは多いと思います。

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photo: Greatest/Most Memorable Golf Moments Picture Thread


1999年、ノースカロライナ州パインハーストCC。無数の木々に覆われた美しい舞台に最後に華を添えたのは、全米のファンがこよなく愛するペイン・スチュアートというゴルファーだった。このガッツポーズ、ニッカーボッカーパンツ、ハンチング。型にはまらないプレースタイルは彼の生き方そのものを象徴していた。


多くは彼のことを「The Fierest Fighter in Golf(ゴルフ界屈指のファイター)」と呼んだ。スチュアートは前年の1998年に惜しくも初メジャータイトルを逃し、その悔しさを隠そうとはしない性格だった。更にその1年前の1997年には、最終日を2位以下に4打差をつけて迎えた。しかし、そのリードを守りきれず、18番ホールでは4.5メートルの難しいパットを外しリー・ジャンセンとのプレーオフを1打差で逃した。「今年は必ず全米を優勝する」と公言し、迎えた1999年、当時まだ若手だったフィル・ミケルソンと最終ラウンドに熾烈な一騎打ちを演じることとなった。


それまで周囲からはあまり好かれていなかった人間が神への信を確認し、徐々に人間的な成長を遂げていった。そして、6月の全米オープン。ペインは4.5メートルのロングパットを最終ホールで沈め、ミケルソンを1打差競り落とし優勝。


これは彼にとって3つ目のメジャータイトルだった(1989年に全米プロ選手権を優勝し、その2年後、全米オープンを制覇)。優勝を決定するパットとしては、全米オープン史上最も長いもので、ペインは誰もが夢見るトロフィーを手中にした。優勝が決定した瞬間の豪快なガッツポーズは、ゴルフ歴史にも残る名場面となった。


誰もがペインのような幸運に巡りあえるわけではないし、誰もがそれらチャンスをものにできるわけでもない。結果論から言えば、ペインは恵まれていたのだろう。幸運が降りてきた4ヶ月後、運命の悪戯がペインの命を奪った。彼は自家用機の墜落事故でこの世を去った。早過ぎる死だった。しかし、ペインがこの世を去る間際に払拭した自らのイメージ、人生の転換、そしてその堂々たる生き様は、世界中のゴルファーに強烈なインパクトを残した。


全米を優勝するまでのペインは周囲の関係者、メディアに対し、どこか突っ張っているようなところがあった。優勝した後の進化した彼をもっと良く知りたい、好きになりたい...そう思い始めた矢先に、彼はこの世を後にした。


ペインの評判は勝利の直後に更に上がった。ウィニングパットを沈めた直後、ペインは敗者のミケルソンをつかまえた。妻がいつ出産してもおかしくない状況下でプレーしていたミケルソンを激励し、訴えた。「良い父親になれ!」ペインの人生観は、明らかに変わっていた。優勝はたかが優勝、長い人生の一こまでしかなかった。翌日、ミケルソンは第1子の父親となった。ペインのこの行動は本心からだったからこそ、ゴルフファンのみならずあのシーンを目撃した者は感動した。その日が、「父の日」だったことは偶然ではなかったのかもしれない。


数ヶ月後にこの世を去ったペイン。彼の死を受けて米国ゴルフ協会の会長、バズ・テイラーは簡潔にこう言った。「ペイン・スチュワートはゴルファーの在るべき姿を象徴していた」。プロゴルファーではなく、アマチュアゴルファーでもなく、ゴルファー全員だ。


全米オープンが開催される度、ペインを思い出す。それはこの大会が「オープン(プロ、アマを問わない大会)」であるが故に、ペインがあの日見せた姿はゴルフをこよなく愛する者の象徴だったからだと思う。


舞台は違うものの、今年も広大な青空の下、全米オープンが開催される。あの日のあのパット、あのガッツポーズ、あの人生、あの生き様・・・。


ペイン・スチュアートが甦る。


Payne Stewart Wins 1999 US Open

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