「アメリカンドリーム」を達成してもまだまだ信じ続けるベネズエラン、ジョナサン・べガス

ベネズエラと言えば・・・


スポーツオタクからしてみれば、「野球」でしょう。日本で名を挙げた選手でいえばアレックス・ラミレスペタジーニ、現役メジャーの著名どころではヨハン・サンタナ、ヤンキースで松井秀喜のチームメイトでもあったボビー・アブレイユ、少し古いところでいえば、名遊撃手のオジー・ギーエン(現ホワイトソックス監督)やアンドレ・ガララーガなどなど、とにかくメジャーリーガーが次から次へと誕生する国としてスポーツ界では知られています。


ベネズエラ人にとってメジャーリーガーになることが「アメリカンドリーム」であり、成功し富を得るための最短ルートであり最大のツールだったのですが、一国の方針をも変えかねない新たな風穴を開けようとしているプロゴルファーが誕生しました。


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photo: zimbio.com


先週の「ボブホープ・クラシック」、プレーオフの末初優勝を挙げたのはPGAツアー史上初のベネズエラ出身メンバーとなったジョナサン・べガス。今季PGAツアーメンバーとなり2試合目でいきなり大仕事を成し遂げました。過去にフルメンバーとして挑んだ初めての試合で優勝したのは3名(ロバート・ガメス、ベン・クレンショー、ギャレット・ウィリス)のみ。


さらに、52年目を迎えたこのボブホープでツアールーキーが優勝したのは初めてのこと。2008年シーズン以降、ツアールーキーによる優勝は昨年のデレック・レイムリーとロリー・マッキロイに次いで3人目です(意外?)。


べガスは2日目にトップに立ち、4日目には離されかけるも上がり5ホールを連続バーディフィニッシュ、新人離れしたプレーで最終日をトップに並んで迎えました。最終日はプレーオフ2ホール目でティショットを池に入れて万事休すかと思いきや、「3打目を寄せてパーを取れればまだ分からない」と冷静さを保ち、見事にパーを死守。最後まで食い下がったゲーリー・ウッドランドはティショットをフェアウェイに乗せるも、そこから寄らず入らずのボギー。べガスがツアールーキー対決を制しました。


大会期間中、おそらく多くの人がべガスはどこかで失速すると見ていたでしょう。当たり前といえばそれまでですが、現場で観戦、取材している人も、テレビ解説者も誰もこのべガスのことについて知らなかったのです。2日目以降、毎ラウンド後に記者会見室に呼ばれていたようですが、その場では必然的に彼自身についての質問が集中していました。


彼のことを調べれば調べるほど、この1勝がどれだけ重いものだったのかが分かってきます。


べガスの父カルロスはキャディ、練習場でボール拾いなどをしていたこともあり、べガスもゴルフが身近にある環境で育ったとのこと。ゴルフを始めるきっかけは「家にあったほうきを持っては石ころを打っていた」とのこと。石油掘削労働者のための団地に隣接して作られた9ホールのショートコースで友達と練習し腕を磨き、2001年のベネズエラジュニアを優勝、翌年の世界ジュニア選手権に出場して6位に入賞したのです。


世界ジュニアの渡米期間中に、父カルロスはベネズエラで息子のスイングコーチをしていたフランシー・ベタンコート氏とその教え子ケビン・カーク氏に「息子を預かってもらえないか」と打診。ベネズエラでベタンコートからゴルフを教わったカーク(父が石油ビジネスをしていて一時住んでいた)、そしてべガスを教えていたベタンコートもベネズエラのゴルフ環境ではべガスのポテンシャルが発揮できないと判断し、受け入れることに決めたのです。


2002年、17歳だったべガスは「挨拶程度の英語、洋服を数着、それとクラブだけ」を手に渡米。ベタンコートと妻アルバ氏はべガスを我が子のように受け入れ、英語の勉強のために地元のコミュニティーカレッジ(短大)に通わせたそうです。送り迎えをするだけではなく、午後はゴルフ場で付きっきりの指導。2003年のヒューストンオープンはマンデー予選で通過するまで上達。2003年にTOEFL、SAT試験(日本でいうセンター試験のようなもの)を合格、翌年からテキサス大学に入学できるまで英語も一人前になっていたのです。大学のコーチ、ジョン・フィールズ氏曰く「ジョナサン・べガスという人間をサポートしてあげたい・・・そういう人しか彼の周りにはいなかった」


「特にホリデーの休みになると、家族にも友達にも会いたくなる時期はあった。国が恋しくてしかたない時があった。でも自分の目標と常に向き合って、『俺はこれを達成させたい』と言い聞かせてきた。だからいつもポジティブでいれた。頑張ることもできたし、上達もできたんだと思う」


とべガス。


このボブホープはアマチュアとラウンドする大会でもあり、初日にべガスと同じ組になったキース・フォックス氏はアップル社、シスコ社でマーケティングの責任者として従事したことのあるビジネスマン。


「彼は豪快に笑い、話し方が上品で、そして礼儀正しい。与えられたもの全てに感謝しているのがよく分かる。心の底から感謝していると人間はどういう行動にでるか?全力を尽くす、それだけだ。彼はそれをやっていた。ゴルフだけではなく、全てにおいて」


と感心していたようです。


1球にかける思い・・・その思いはいずれ母国ベネズエラにも届くためにもプレーしているようです。ここ数年、「ゴルフは富裕層のスポーツ」と批判されているベネズエラのゴルフ事情。ウーゴ・チャベス大統領は国策によりここ7年間で6コースを閉鎖。べガスがゴルフを始めた9ホールのショートコースもその対象となってしまったとのこと。


「国を代表する初のプロゴルファーになりたい。そしてベネズエラのゴルファーも対等に戦えるということを証明したい。


「PGAツアーで優勝・・・想像するだけでも大変なことなのに、実際に優勝するなんて信じられない気分だ。だから、今日は冷静にプレーすることが難しかった。母国のみんなにとって、この勝利が何かのきっかけになってくれることを祈ってる。ゴルフという競技に対する考えが変わるきっかけになってくれることを祈ってる」


とべガス。まだ戦いは始まったばかり。


最近、クルム伊達や多くのトップアスリートから


「信じ続ければ叶う」


「目標に向かって一つ一つ頑張る」


「成長しようという気持ちが大事」


と言った台詞はよく聞きますし、アスリートたちが子供たちに送るアドバイスでもあります。多用されているからか、身近な成功例として実感が沸かない、と冷めた目で見てしまうこともあります。


でも、「ほうきと石ころ」でゴルフを始めた少年がPGAツアーで優勝。


似た環境にいる子供達には大きな夢を与えることでしょう。


あっぱれ、べガス!

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